これは、自分の内側のヴィジョンに忠実に生きる人たちのお話です。
あなたの心に共振するなにか…がみつかりますように。

 

 

About My Vision - 旅がどう始まったか

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2012年。
マヤ暦の終わりといわれたこの年を、一つの節目という感覚を持ってずっと生きてきました。 この時代に生まれ、成長とともに、社会のシステムの中に組み込まれていく中で、自分の内側に感じ始めた違和感。 その違和感が発する声を聴きながら、日本を離れ、アメリカに拠点を移し、人と出会い続け、変化し続けながらこの年を迎える時、ふと思ったのです。 ”もし、2012年が大きな節目となり、その後の世界を、自分が思い描く世界に変えられるとしたら、わたしはこの年に、一体何をしたいのだろう” 日々の生活やお金という、わたし達の想いや夢よりも、優先してしまうものを横に置いて、この一年、自分がほんとうにしたいと思っていることをしてみよう、そう考えました。

”もう既に、システムの外で、自分の描いた世界を生きている人達と、話す旅に出よう”

世界中が揺れているような今、これまでの社会のシステムは、徐々に変化していくに違いない、これから必要なことは、個人が力を取り戻していくことだと、わたしは感じていました。 それならもう既に、システムの外で生きる人々に会い、彼らはなぜ、そう生きるようになったのか、その生き方とは、どういうものなのかという話が聴きたい、そう思ったのです。 彼らはきっと、社会のシステムではなく、宇宙のシステムと同調して、生きているのではないか、これからの生き方のヒントは、必ずそこにあると思いました。

誰に会いに行くかはもう、決まっていました。

ヒッピー/環境アクティビスト/ナチュラリストであり、”いま、ここ”という生き方を貫いてきた風砂子デアンジェリス、常にアルケミストとして生きるケイコ•フォレスト、アースウォーカーであるポールとともに、地球を歩き、アースバッグハウスを作り、自給自足の暮らしをしている菊池木乃実。そして、植物の世界の中に宇宙をみながら、お花やアロマを通してそれを現している加藤万里。 探さなくてもしっかりと繋がっていたのです。 ”そうだ、彼らに会いに行こう” そう決心すると、私の気持はワクワクと踊り始めました。

旅に出ようと決めたものの、私の行く先は、カリフォルニアであり、ハワイ島であり、南米パタゴニアの奥地。 もちろん資金もなく、実際、何をどう始めていいのか、全くわかりませんでした。 わたしはとにかく、このアイデアを人に話し始めることにしました。 話し始めると、聞いてくれる人すべてが「私も聞きたい!」と言ってくれることに、気がついたのです。 みんなも聞きたいのなら、お話をビデオで撮ってウエブサイトを作り、そこでシェアすればいい、そうだ、言葉を記録しようと思い立ちました。 旅はどう起こってくるのか、全くわからなかったけれど、アイデアはどんどんと、そのカタチを作っていきます。 ただひとつだけ、私の中に強く感じていることがありました。 それは、自分のビジョンを生きる人たちに会いに行く旅は、やはりミラクルで起こっていくはずだ、という想いでした。 それはまず、私自身が想いを実現する人であることーVision Walkerになることです。

そして、それはほんとうに起こり始めるのです。

始まりは航空会社に勤める友人から「スタンバイチケットをあげるから、旅を始めなさい。」という、思わぬ申し出を頂いたことでした。 スタンバイチケットとは、航空会社の職員が会社から支給される、格安で飛行機を利用できるチケット。 このチケットを頂いたことで、ハワイや南米という、遠い場所へ行くことが、一気に現実になったのです。 自由の羽根、行きたい場所へ行ける羽根。 思わぬ贈り物は、私を驚かせ、大きく動かしてくれました。 そう、ミラクルを信じ始めたのです。 すると…

今度はウエブデザイナーの友人が「出来る事があったら言ってね。」と声をかけてくれて、この旅を記録するための、ウエブサイトを作ってくれる事になりました。 撮影するためのハンドカメラや、編集するために購入したMacAirの使い方で、頭が混乱している時には、ハワイに住んでいた、コンピューターに強い友人が突然やってきて、援助の手を差し伸べてくれました。
あとは資金。
「そうだ、車を売ろう。」
外に停めていた車を見た時に、ふとそう思ったのです。

「車を売るんだったら、バークレーで売ればいいじゃない。」 最初のインタビューをするための相談で、風砂子さんに電話をすると、彼女がなにげなくそう言いました。
バークレーは、私が長年住んだ土地で、仲間がたくさんいます。 すごくピンときた感覚があり、きっとバークレーで売れる、と強く感じ始めました。 そう感じる直感だけを頼りに、売れた時に必要な書類を持って、バークレーに向かいました。 しかし滞在中はイベントやインタビューでとても忙しく、しかも車を買う人はまず、自分の車を売ってから買うのが普通なので、即座に売るのは難しい、という事に気づきました。 今回は売れないのかもしれないな、と少し諦めて、オレゴンへ戻る前日、鍼灸師の友人を訪ねたときの事です。
鍼をしてもらいながら車の話をしていたら、実は彼女のご主人の車が数日前に壊れて、いま修理工場へ出していると言うのです。
もしかしたら新しい車に興味があるかもしれないから、話してみたら?と言ってくれたので、さっそく私は彼らの家を訪ねました。
「やあ、みかさん。ひさしぶり。」と出てきた彼に、車の話をすると、彼はわたしの予想以上に興味を持ってくれました。
なんと、同じ車種の車を、ちょっと前にディラーに見に行ったと言うのです。 「明日オレゴンへ帰るの? じゃあ、相談して、帰る前に電話をするよ。」 なんだか不思議な展開になってきました。 翌日、帰る支度をしている時に、電話が鳴りました。 「いろいろ考えたんだけど、車買おうと思います。」 私は飛び上がるほど驚いて、ありがとう!と叫んだのですが、よく考えると、翌日までにオレゴンへ戻る用事があり、今日引き渡すと、帰る手だてがありません。 「今日は一旦このまま帰って、また戻ってきていい?」と聞くと、彼らも「かまいませんよ。」と言ってくれました。 ところが… 10分後にまた電話が鳴りました。 「みかさん、今修理工場から電話があって、オーナーの足が急に痛み出して、どうしても動けない。車の修理がいつになるかわからない、と言われたんだよ。なので、もう今日もらっちゃった方がいいと思うんだ。うちに使えるマイルがあるから、それでオレゴンまでの飛行機のチケットを取るから、心配しなくていいよ。」 なんということでしょう。 二時間後、彼の手には車の鍵、私の手には小切手と飛行機のチケットが握られていました。 あっという間の出来事です。

”宇宙のエネルギーが動いている”
確かにそう感じていました。 即決できない私に、だめ押しのように、修理屋さんが直せないという事態が起こるように、車を手放す事は、その日するべき事だったに違いありませんでした。 大きな流れの中にいるときは、物事がとても簡単に動いていき、それが双方にとって嬉しい起こり方をするものです。 こういう形で車が売れた事で、私は改めて、このThe Vision Walkerプロジェクトを進めていく意味を感じました。

その後も、日本の友人から、旅のために使ってと手作りの品が届いたり、必要な物を貸してくれる人、教えてくれる人、すべて簡単に解決していきました。 元夫と息子も、家族として理解とサポートをし続けてくれます。 一体何が起こっているの?と驚くようなことが、次々と起こり始めたのです。

私たちの目に見えない大きな力は確かに存在し、自らのエネルギーとその大きな力が、まるでダンスを踊るように、美しくコラボレートしたとき、思考は現実として、魔法のようにこの世界に姿を現します。 あとは精一杯楽しんで、創造の旅にでよう。 こうしてミラクルの旅が始まりました。

FUSAKO DE ANGELIS

風砂子デアンジェリス

1998年、「地球の集まり」という日本人を中心とした交流会で、わたしは初めて風砂子さんと出会いました。
当時、カリフォルニア州バークレーに住み始めたばかりのわたしは、ある日、現地新聞で目にした「地球の集まり」という会を発足するという記事に、何かピンと来るものを感じて参加しました。
初めて出会う20人近い人々は、みんなユニークで個性的でしたが、中でも呼びかけ人の一人だった風砂子さんは、エネルギッシュで圧倒的な存在感を放っていました。 月一回、多彩な人々が集まり、環境、生活、政治… 日常のあらゆる事を話し合う会は、その後四年間続き、いつしかわたしも、風砂子さんと一緒に世話役をしていました。 その後「Shake! 」というグループを共に立ち上げ、月刊誌「クーヨン」に「ベイエリアからの風」という連載をいただき、サンフランシスコ、ベイエリアの文化、活動、思想、暮らしに渡るたくさんの事を取材しました。 取材の写真を撮るために、高い所にスルスルと登ったり、どんどん人に話しかける風砂子さんの姿勢を見て感じた事は多く、それは今のわたしを作る栄養のひとつになっています。 バークレーの母と呼ばれる風砂子さんは、いまもコミュニティの中心的存在です。

風砂子デアンジェリスさんは静岡県に生まれ、子供時代は第二次世界大戦の焼夷弾の雨の中を逃げる体験をし、大学時代は学生活動家として、安保闘争に参加し、その後最初の夫、秋野イサムさんとインド、ネパール、メキシコ、カナダ、アメリカと旅を続けました。 カトマンズでヒッピー達との衝撃の出会いをしてから、カナダやニューメキシコではコミューンで生活をする中で、価値観が大きく変わり、それは今に至るまでブレのない、自由で愛に溢れた視点で、この地球のすべてを包んでいます。 現在は、いつも風砂子さんを絶妙なバランスで支えている夫のミノさんと、三人の娘達、そして五人の孫達に囲まれて、楽しい毎日を送っておられますが、同時に反核、反戦運動、政党や国家でなく、一人一人の意識と感性の目覚めに基づく変革を提唱し続けています。

The Vision Walkerのプロジェクトを始める時、風砂子さんに会いに行くと決めたのは、彼女の70年以上の人生の中で起こる様々な出来事を、どういう視線で見つめながら、どう感じ、そしてどう行動してきたかを聴きたいと思ったからです。

わたしがバークレーへと向かったのは、2012年6月の最終週でした。 この時、風砂子さんのお宅ではちょうど夫のミノさんが、お家の改装を始めていて、その場でビデオ撮影するのが難しかったため、急遽、友人宅を借りて行いました。 風砂子さんはなんと、五時間ほとんど休みなしで話し続けてくれました。 そこで語られた人生の物語は、あらゆることに心を開き、楽しみ、内側の声を聴く。 ”いまここ”を生きる時、すべてが無駄なく完璧な流れとして繋がっていくことを教えてくれました。

インタビュー

KEIKO FOREST

ケイコ・フォレスト

わたし達の最初の出会いはカリフォルニア州バークレーでした。
ケイコ•フォレストは10年以上暮らした山から下りてきて、バークレーでの暮らしを始めたばかりで、お互いの子供が同じ小学校に通っていた事もあり、わたし達は共通の友人の紹介でごく自然に友達になりました。

その頃、彼女はとても素敵なジュエリーを作っていました。
長い間暮らしていた自然の中で見たもの、感じたものが、そのままアクセサリーになったような、ほんとうに美しいネックレスやピアス。
作り始めて間もなく、それらは有名なデザイナーの目に止まり、ニューヨークコレクションに出品するという不思議な事も起こっていました。

ケイコ•フォレストの人生そのものが、不思議な事で満ちあふれていましたが、彼女はなにか、内側の真ん中にあるものから決してそれないように、注意深く生きているようでした。
ジュエリーをそのまま作り続けたら、有名なデザイナーの仲間入りをしていたかもしれませんが、ある日彼女はジュエリー制作をやめてしまいます。
それを続けることは、彼女の描いている世界とは少し違う方向へ向かう事になると、感じたのかもしれません。
どんな状況でも、自分のヴィジョンを生きること。
ケイコ•フォレストが一番大切にしている事です。

そういう彼女と、同じように個性的な仲間達と、その頃はよく集まり語り合いました。
キッチンテーブルから、わたし達は宇宙を創造していました。
そこから生まれたのが「Be Green Living Foundation」でした。

わたし達が描く、人と人の繋がり、新しい世界のコンセプトは、Be Greenというウエブサイトを中心としたネットワークオーガニゼーションになりました。
Be Greenは日本でもたくさんの人に共感していただき、ネットワークが日本全国へと広がり始めた頃、わたし達は次の転換期を迎えていました。

ケイコ•フォレストはハワイ島へと移り住み、植生も習慣も違う場所で、新たなオフグリット生活を始めたのです。
飲み水以外は雨水を巨大なタンクに溜めたものを使い、電気はソーラーが主で、雨が続いて電気が消えると、夜はキャンドルナイトです。
ガスはプロパン、トイレはコンポストトイレ。
ガラスのない、モスキートネットを張っただけの窓からは、柔らかな光、雨の匂い、動物達の声、そよぐ風… 時間とか喧噪というものから完全に隔離された場所です。

わたし達はそれぞれの場所で、自分のヴィジョンに向き合う時間が流れ、今こうしてお互いに創り上げてきたものを持ち寄る時が来ました。
彼女の人生の物語をもう一度聴かせてもらいたい。
そんな風にハワイへの旅が始まったのです。

インタビュー

KONOMI KIKUCHI

菊池木乃実

2008年、木乃実ちゃんは夫のアースウォーカー、ポール•コールマンと一緒に、中国を歩いていました。
北京オリンピックに向けて、環境保護のメッセージを伝えながら木を植えていました。
彼らが歩きながら見た中国を、木乃実ちゃんがブログに書いているのを読んでいたわたしは、いつか二人に会いたいなと思っていました。

想いは実現するもので、ひょんなことからわたし達は一緒に、ポールの講演会をバークレーとサンフランシスコで開催することになります。
ちょうど彼らが中国でのウォークを終えた後で、ポールが話した今の中国の現状は、たくさんの人に環境を考えるきっかけを与えてくれました。

講演会の後、みんなで食事をしながらいろんなお話をしましたが、その時木乃実ちゃんが話してくれた事が、その後ずっとわたしの心に残りました。
「中国を歩いた時、環境はひどいし辛い事がたくさんあった。誰が見ていてくれるわけでもなく、わたし達はただ、日々歩いている。自分の貯金もどんどん無くなっていくし、わたしは一体何をしているんだろうと思った。でも、いろいろ無くなってみると、気持が変化していき、怖さがなくなったの。そうしたらね、不思議と必要な物が必要なだけ与えられていることに気づいたの。」

何かを手放した瞬間から、与えられ始める。
その事実にわたしの心はワクワクしました。
The Vision Walkerのプロジェクトを始める時、このお話がすぐ心に蘇ってきました。
そしてわたしは、木乃実ちゃんに会いに、いま彼らが住むパタゴニアへ行こうと決心するのです。

「東京でお勤めをしていた頃は、このお洋服にはこの色の靴、なんて生活をしていたのよ。」と木乃実ちゃんは笑います。
通訳や司会者、作家など、面白い仕事をどんどんこなし、結婚もして幸せだった木乃実ちゃんの生活は、ご主人が鬱病の末、自らの命を絶つという悲しい出来事で大きく変わりました。
精神的打撃を受け、催眠療法などに出会い、少しずつ立ち直っていった木乃実ちゃんは、ある日「木を植える人の講演会に行かない?」と誘われます。
それがポールとの出会いでした。
お金を一銭も持たずに15年間、木を植えながら世界中を歩いているポールの生き方に感動した木乃実ちゃんはその後ポールの本を出版します。
本を書きながらポールがどんどん好きになっていった木乃実ちゃんは、ポールと一緒に沖縄を歩き、そこで結婚。
その日からポールの側を片時も離れず、世界各地を一緒に歩き、木を植えながら、ポールが結婚する時に約束してくれた「世界で一番美しい場所に、家を建ててあげる」という言葉を実現する場所を探していました。

そして二人が辿り着いた場所がパタゴニアです。
美しい大自然を見渡す丘の上に、アースバッグを使った家を自分達で建て、今も彼らはこの土地を地上の楽園にするために、毎日作り続けています。

インタビュー

MARI KATO

まるで
   聖フランチェスコと生き物たちのように
   粘菌と南方熊楠のように
   植物のあらゆる側面を見続け、心を通わせ
   植物を通して宇宙を観る人

   そのためなら何でもする、と断言する程に
   知るための努力を惜しまず
   妖精の言葉を理解する人

   見えない世界に精通し
   聞こえない声を聴く人

   したいことしかしない、できない人

   こころから正直で熱く
   おっとりしているようで強い
   泣いたり笑ったり
   琴線にふれるものをそのまま現す人

   加藤万里とは
   そんな人のように感じます。
   ここからは、彼女の視点を通して
   植物の世界を旅してください。

   よい旅を


加藤万里 

花には その中を流れる清らかなエネルギーを
動物や子供には、今その時を生きる率直さを
香りには、綿々と過去から連なる自然と私たちの結びつきの記憶を、
そして、天界との繋がりをーーー。
地球上のすべてのものに美しさを見る私たちの心の本質は
生きとし生けるものをエネルギーでとらえる、たましいの、目。
............................

2004年より、拠点をロスからバークレーに移動して活動中。
お花の会FOLIAGE、アロマクラスFOLIAGE-Essence- 主宰。
植物に触れながら、その美しさ、効能、香りなどを通し、その奥にある いのちの本質を感じる場として会を主宰している。

foliage

インタビュー

MIKA MOON

ミカ・ムーン

北海道に生まれ、1990年からアメリ カで暮らし始める。カリフォルニア州サンフランシスコ、 バークレーそして、オレゴン州ユージーン での暮らしを経て、現在はハワイ島在住。ティーンエイジの息子を持つシング ルマザー。
カリフォルニア時代は、インテリアデザイン、構造エンジニア など建物に関わる仕事をすると同時に、環境活動家として仲 間と共に政治、環境問題を英語、日本語で発信し続ける。
やがて、オレゴンの美し い自然の中で、持続可能な生き方をベースにした暮らしをするうちに、内側に ある意識が外側の世界をも創っているとすれば、それぞれの意識を高めて いくこともまた新しい世界の創り方なのかもしれない、と想い始める。そして 2008 年、仲間と共に 「Be Green 」を立ち上げ、ひとつ先のサスティナブルな未来へと続く、新しいライフスタイルの提案を始める。
2012年 オレゴンでの暮らしの中で、これからの世界や人の在り方について思考してきたことを視覚化、言 語化していきたいと思い立ち、自分の想いのままいきる人たちの話を聴くために、旅に出る。訪ねた人たちへのインタビューをハンディビデオで録り編集したものを「The Vision Walker」というウエブサイトにまとめる。
旅のあと、グレイヘアを染めない、と決めた時に感じた、「今の自分を楽しんで生きる」Proageという生き方を文章にまとめ、同世代の人たちにシェアし始める。
2014-15年、暮らしながら旅をしたい、という想いが実現して一年間、アメリカ西海岸、アメリカ大陸横断、オアフ島、メキシコ、日本、台湾など、いろんな土地で暮らしながら旅をする。
そして今、ハワイ島に戻り、これまでの人生の中で観えてきたことを、ひとつずつout putしていきたいと想い始める。

vivid

プロエイジ

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